――Two wishes and hope――
『リュウガ・・・?』
今までに無い冷たい笑みに、水谷は素直に恐怖を感じた。
恐い。10歳の少年にはそう感じることが精一杯であった。
『浩哉、実はさ・・・お前だけじゃないんだよ』
『え?』
『俺や、竜也や竜馬も調子がいいんだよ。昨日の午後から』
それは何を意味しているのだろう。
リュウガの言葉を一生懸命頭の中で考える。
昨日から調子の良い自分やリュウガ達。
何故?
何故自分たちが?
一生懸命考えている少年を目の前に、リュウガは笑みを浮かべたまま、目を一回閉じ、ゆっくりと開く。
『浩哉』
『・・・?』
『天秤って知ってるか?』
『天秤って・・・理科の授業で使うあれ?』
『そうだ、それだ』
天秤。
リノリウムの床に薬品臭が常に漂う教室にあるそれは、今日、理科の授業で錘を使って自分たちの周りの物の重さを量ってみるという実験に使ったものだ。
調節した右の天秤皿に図りたいものを置き、左の天秤皿には小さな0.5グラム単位の錘を置いていく。
メモリがちょうど真ん中にくればそれ等の重さは平等であると言うことになる。
しかし、それが何だと言うのだろうか?
『天秤が、どうかしたの?』
『真司は何でここに居る?』
『え・・えっと、僕達に生きて欲しいって願ってくれたからで・・・』
『そうだ。真司の願いで俺達は生きて、その願いで出来た歪みを一人背負って真司はこの部屋で一生を過ごすことになった』
そうだ。真司は自分達のためにこの部屋に居る。
でも、それがどうしたのだろう。
今更ではないか。
水谷にはリュウガの言いたいことが未だ分からない。
『そこでだ浩哉。俺達14人を錘に考えろ』
『錘?錘って、天秤の?』
『そうだ。んで、片方の皿に乗っけろ』
14人を一人1gの小さな金属板に考え、水谷は左の天秤皿に14枚乗せる。
すると、当然のごとく重さに耐えかね大きく傾いた天秤。
『もう片方の皿には14人分の重さ・・・真司を置け』
『・・・どういうこと?』
『いいから考えろ』
言われた通り、14人分の重さに等しい真司を右の天秤皿に置く。
当然の如く保たれる均等。
『メモリが丁度合っている状態が普段だ。そして・・・・』
『リュウガ・・・?』
言葉が途切れる。リュウガを見ると、リュウガの視線は真司の部屋の大きなはめ込みガラス窓を見ていた。
『もし、メモリが丁度合っている普段の状態で、真司が何かしら体調を悪くして真司の方の重さが増えたら、俺達はどうなる?』
14人の左より真司の右の皿が重くなれば当然左の皿は上がる。
『そこで問題だ浩哉』
リュウガはぽつりと言った。
『俺達は何で昨日の午後から調子が良い?体調が優れている?』
城戸真司という右の皿が重く重く、傾けば傾くほど、左の皿の自分達は軽くなっていく。
城戸真司の様態が悪くなればなるほど・・・自分達の皿の比重が軽くなる。
つまり、それは・・・
『真司の体調が・・・・悪いから・・・?』
城戸の様態が悪化して、初めて城戸がこの部屋に居る意味、自分達が生きている意味を根底から理解した。
城戸は自分達のためにその部屋に居るのではなく、居ざるえないのだ。
其処を出たら死ぬ。城戸は、自分たちの生を背負って死と横並びしているのだと、初めて意識させられた。
「その時のリュウガの顔は、覚えてないんです」
「・・・まさか・・・」
水谷の言葉に、秋山は絶句した。
城戸はあの部屋で歪みを背負っているんじゃない。
歪みと言う天秤の上に居るのだ。
どちらかが傾けば、どちらかが上がる。
城戸の体調が悪くなると、、反対側のリュウガ達は上がる。
その逆もまた然り。
「その後、リュウガは僕に言いました」
「・・・」
「『浩哉、死んでみねーか?』と」
『・・・リュウガ?』
『俺と一緒に死んでみねーか、浩哉?』
真司の重さを軽くするためにはどうすればいいのだろう?
『真司が支えている14人が少しでも減れば、・・・12人、真司の比重は軽くなるんじゃねーかな?』
リュウガはそう言うと立ち上がった。そして、未だ呆然と立っている浩哉の右腕を掴むと何も言わずに歩き出す。
浩哉は強い力に引っ張られる形でリュウガについていった。
その掴まれている右手には、無意識のうちに握りつぶしてしまった賞状が握られていた。
そのまま階段を上り、つれてこられたのは夕闇に染まりつつある屋上だった。
そしてフェンスの傍へと引っ張られる。
何も言えない自分。リュウガが何を遣ろうとしているのかは薄っすらと理解していた。
リュウガを見上げるが、何も言わずフェンス越しに街を見ていた。。
リュウガがこれから遣ろうとしているのはきっと飛び降り自殺と言われるものだろう。
それは理解できた。
自分は死ぬのだろうか?
自分が死んだら本当に城戸は楽になるのだろうか?
リュウガはガシャン・・・と音を立ててフェンスに手をかける。
少し後ろ側にいた浩哉にはリュウガの顔が見えない。
リュウガは本当に死ぬ気なのだろうか?
死。
浩哉の手を離さずリュウガはフェンスを上ろうとする。
ふと、今朝「いってらっしゃい、車には気をつけて」と、自分を送り出してくれた両親の顔が浮かんだ。
すると次々に色んな人の顔が浮かんだ。
学校の友人、教師、近所の人。
ああ、そういえば今朝近所のおばあちゃんが、「明日遊びにおいで、お菓子を用意しておくから」と誘ってくれたんだ。
そういえば、お隣さんちで飼っている犬のサクラに今日か明日あたり子犬が産まれるんだっけ。
その子犬を一匹、家族で引き取ろうかどうか、今夜家族会議を開くのだと父が朝の出かけに教えてくれた。
明日、テストがあった。
まだ図工の粘土の人形が出来上がってないや。
来年の夏には家族旅行でどこか遊びに行こうって言っていた。
借りていたゲーム、まだ返してない。そうだ、漫画も返してない。
新しく家庭科の実習でお茶の入れ方習ったから、今夜お母さんに遣ってあげるって約束してた。
『・・・・浩哉』
『あ・・ああぁ・・・・』
フェンスを上るリュウガがこちらを見る。
その顔には未だあの笑みがくっついている。
『浩哉』
呼ぶ。
自分の名前が呼ばれる。
強張る体、力が入って強張った右手に何かが握られている事に気が付いた。
ふと、視線を向けると、今日学校で貰ってきた賞状がぐしゃぐしゃに握りこまれていた。
イヤダ。死ニタクナイ。
『い、嫌・・・嫌ぁあああああ!!!!』
『・・・・・』
『嫌だ!!!ヤダ!!!離して・・・離してリュウガッ!!!!!』
掴まれている右腕を離そうと強く引っ張るが、掴まれている腕は一向に離れようとはしない。
リュウガの手はまるで石のように動かない。
このままでは自分は死ぬ。
嫌だ。死にたくはない。
『お願いッ・・・離して!!リュウガァッリュウガァアアッ!!』
叫んで泣いて、喚いて暴れても、離されることの無い腕。
何も言わずに笑みを浮かべているリュウガ。
恐くて怖くて、泣き叫ぶしか抵抗の出来ない自分。
どれだけ叫んだだろう。
喉が掠れて、殆ど声が出なくなったとき、
『何をしている!?』
『リュウガッ!?』
屋上の階段を駆け上る足音が聞こえてきたと思ったら、二人の声が聞こえてきた。
駆けつけたのは、城戸の病室に行く途中駐車場で見かけた竜也と竜馬だった。
『リュウガ!!』
『ッ!!』
階段を駆け上がった勢いのままリュウガと水谷のところまで遣ってきた二人は、腕を引き千切る勢いでリュウガの腕を剥がすと、
その場に崩れた水谷を竜馬が抱きしめ、フェンスに上りかけていたままだったリュウガを竜也が殴りつけた。
殴られた勢いでリュウガは地面にぶつかる様に落ちた。
その後、リュウガは竜也に殴られて、水谷は竜馬に抱き上げられ城戸の部屋へと運ばれた。
経緯を聞かされた手塚は唖然とし、水谷の両親に今日は自分の家に泊まると連絡を入れた。
「その後、暫くリュウガに恐怖感を持って近くに近寄れませんでした」
それはそうだろう。
それほどの恐怖を感じたのだ。容易に近づくことは出来ない。
「それで僕、海之に話したんです」
自分達の所為であの部屋に留まる城戸のこと。
あの日、自分が知ってしまったこと。
「全部話し終わってから、海之は僕に言いました。『生きるのは怖いか?』と」
手塚に聞かれ、素直に頷く。
自分達のために城戸があの部屋に居る真意。
「そして、『死ぬのも怖い』と言う僕に、海之は優しく笑いました」
『生きることが怖くて死ぬのも怖い。なら、浩哉。お前は生きなきゃいけない』
「それを聞いて、ああ、そうだなって・・・何かストンってつき物が落ちました」
生きるのが怖くて死ぬのも怖い。確かに生きるしか手が無いだろう。
いかにも手塚らしい。
「それでも、リュウガは怖かった」
青年の横顔は、今は落ち着いてどこか懐かしさを思わせている。
「リュウガに近寄ることも、見る事も怖くて、真司の部屋に行くのもそのうちに怖くなりました」
いつ、すれ違うか分からない。
そのことが尚更少年の恐怖を煽った。
「そうして真司の部屋に行かなくなって3年で、中学1年になりました」
「・・・」
「授業を終えて、校門までくると海之が校門の前で僕のことを待ってたんです」
それは過去、中学生だった海之を待っていた自分のようで、少々面白かった。
そのまま帰りの道を2人で歩いて通りかかった公園で腰を下ろした。
暫く何も言わずに居ると、今度は竜也と竜馬が遣ってきた。
『まだ、リュウガが怖いか?』
どこかで買ってきたのだろう、渡された缶の烏龍茶。
いったい何の話しをするのだろうかと、訝しんで3人を見やるが自分が答えるまで何も言わない様子だ。
仕方なく、小さく頷く。
未だに恐怖が消えない。
リュウガを嫌いになったのではない。
怖いのだ。純粋に。
渡された缶を両手で握っていると、珍しく竜也が頭を撫でてきた。
『なぁ、浩哉』
『・・・?』
『確かに、リュウガが遣った事は許していい事じゃない。でもな、リュウガは真司の双子なんだ』
双子。
そう言われ、竜也と竜馬を見る。
殆ど同じ顔の2人。
『その事がどれだけアイツを苦しめているのか、それだけは分かってやってほしい』
顔が同じな2人。
自分の分身。
方や病気で、方やその病気の為に元気。
『・・・ぁ』
小さく呟いた自分に、3人は安心した表情を浮かべた。
リュウガ自身の背負った重さ。
双子と言うことは、生まれてからずっと一緒に居たのだ。
それがどれ程の物なのかは自分では分からない。
もし、今回の天秤での真意を早いうちからリュウガが気が付いていたとしたら。
真司と似ているリュウガは自分達より、もっと重いモノを抱えていたのではないだろうか?
「それ以降、リュウガの事を怖いと思うことはなくなりました」
静かな青年の顔には小さな笑みが浮かんだ。
今まで前を見ていた青年は、空を仰ぐように首を上に向けた。
「そして僕は、自分自身も変わった」
「?」
「元モンスターの記憶を持っている水谷浩哉じゃなくて、元エビルダイバーの記憶を持っている人間なんだなって」
秋山はこの青年の中で、どちらに――人であることとモンスターであった事――比重が大きく傾いたのかを感じた。
「れーん!休憩交代だよ!!」
少女の声が聞こえてきた。
残り15分の休憩が終わったようだ。
秋山は既に火の消えたタバコを携帯灰皿にしまい、立ち上がる。
「変な話しで貴重な休憩を潰してしまって、すみませんでした」
「いや・・・こちらも礼を言っておく」
城戸の立場。
秋山は知らなかったことをこの青年は教えてくれた。
「蓮!!交代だよ!!交代!!」
裏庭の扉が開き顔を出した少女に、秋山は「今行く」と、立ち上がり洋服に付いた砂をはたく。
少女は早くね、とだけ言い残しまた中に入っていった。
「秋山」
少女が消えた扉に手をかけた秋山は再び青年に呼ばれ振り向いた。
「これはまだ僕の憶測でしかありません」
「・・・?」
嫌な予感が胸に広がる。
「もしかすると、ユイさんと真司は繋がっているかもしれません」
「・・・どういう、事だ?」
問いかけたとたん、
「蓮!!!何時までかかるの!!??早くして!!!」
遅い秋山に怒った少女が、扉を開けて秋山の腕を引っ張って無理やり中へと引きずり込んでしまった。
「ユ、ユイ!!!」
「早く!!」
電動の車椅子は以外にも力が強く、問答無用で秋山を引きずっていく。
――― 繋がっている?
――― 城戸とユイが?
――― それは、いったいどういう意味なんだ・・・?
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